亡命的UFO墜落の印象も
ロズウェル事件そのものにはどうも納得のいかない謎があります。エイリアンクラフトとしてのUFOであれば、技術的完全性という点では地球の最新ジェット機でさえ比較にならないほどの高い水準にあると思われます。それが、なぜ「地上に」墜落してしまうのか?という素朴な疑問があります。墜落原因として落雷説もあるようですが、宇宙的な乗り物がなぜ地上的な気象条件で墜落してしまうのかという点では、かなりミスマッチな印象を強く感じます。
何らかのトラブルで墜落したとしても、なぜUFOは単独で行動していたのだろうか?寮機がいれば乗員の救援、あるいは地球へのUFOテクノロジーの拡散を防止するため、損傷機体の回収やレーザービームなどを照射し熱溶解処理をして原形をとどめないほどにしてしまうとか、UFO・エイリアン側で何らかの手だてを講じても良さそうなものです。
ここで思い出されるのは1976年9月6日、ソ連のミグ25戦闘機が北海道に亡命着陸したケースです。パイロットはベレンコ中尉で、機体は百里基地に運ばれて分解調査され、本国送りとなりました。通信機器に真空管が使われていたとも言われ、敵対国の現物機が手に入り、当時のソ連の軍事技術の水準をつかむまたとない機会となったことでしょう。
このケースから類推して、「亡命」という想定にはいかにも地球臭さがあるとしても、ロズウェル事件の場合、「単なるUFO墜落事故」とみるにはどうも解せない疑問があります。丘に突っ込んだUFOは、墜落とはいえ大部分原形を残していたとの目撃報告があることからして、ほとんど「現物供与」同然であり、何らかの作為らしきものがあったのではないか、と私なりに想像します。
私がロズウェル事件に抱く謎は、それが気球やマネキンの誤認かという真偽判断以上に、なぜロズウェルという地に1947年7月のタイミングで、その時空座標に墜落した(させられた?)のか、という点にあります。この疑問は、裏を返せばもしソ連に墜落していたら歴史はどうなったか?ということにもなります。
そこでコーソー氏の「ペンタゴンの陰謀」ですが、内容に関して私はいくつかの疑問符をつけています。著者が元軍人の立場から、陸軍中佐当時に関った任務に関して一般に発表してしまうことは守秘義務違反にはならないのか? 民間人には口を封じていながら当の軍関係者が自ら、「あれはUFOの墜落でした。軍は事実を隠蔽した。数々の先端技術は墜落したUFOが基になり開発したものだ」とは、いかにも矛盾しているではないか?
仮に自衛隊の元幹部が退官後自叙伝を出版し「19XX年の航空自衛隊機の墜落事故は、当時日本領空を侵犯して接近中の未確認飛行物体を捕捉するため、〇〇基地よりスクランブル発進した2機のF〇〇機のうちの1機が、当該未確認飛行物体を追跡中、何らかの攻撃を受け墜落したものだった。しかし、防衛庁での記者会見では墜落原因は不明と発表された」などと書いたらどういうことになるだろうか?
元統合幕僚議長の栗栖弘臣氏は退官後『核戦争の論理』(二見書房/1981)を出版し、当時のソ連の軍事力の脅威に対抗して日本の核武装やミサイル迎撃レーザー砲の開発をも選択肢に含む防衛戦略を主張し、当時の世論に一石を投じて驚いたものです。しかし、これは氏の職務経験上の意見として述べたもので、現職時の任務の内容について公開したものではありませんでした。
フィリップ・J・コーソー氏の場合、書かれた内容がきわめて具体的で、上官の中将や実在した政治家、事件関係者の氏名、各部門の名称、年月や地名などを明かしていることから、場合によっては裁判沙汰にもなるかもしれません。もし書かれた内容が事実であり、機密に該当する情報が暴露されていたとして、司法当局が出版差し止めなどの法的処置に出れば、皮肉にも「書かれた内容は事実でした」ということを認めてしまうようなものであることから、ただひたすら無視されるのでしょうか。
あるいは「50年も過ぎ、時機が来たようだからそろそろ一部を発表せよ」との指示が何処から下ったのでしょうか。しかし本に書かれた内容はこれまでさまざまな形で発表されてきたことのリメーク版にも見え、収集資料をうまくまとめれば元軍人でなくとも書けそうです。あるいはまた、この本で触れたテクノロジーは「ほんのさわり」の部分に過ぎず、UFO駆動制御メカニズムなどの中枢部分、搭乗員のルーツや使命など肝心な部分を伏せておくための、ガス抜き本に過ぎないのでしょうか?
1998/02/17
墜落現場で見過ごされた物質は?
1947年の時点でコンパクト・ディスク(CD)の現物を見たとしたら「虹色にきれいに光るこの円盤はいったい何だろう?」と思うでしょう。「レコード盤かもしれない」という発想は出てくるでしょうが、いったいどのように信号を再生したらよいものやら、しばらくはお手上げの状態でしょう。さらにさかのぼって1900年代以前でしたら、その用途すら考え及ばず、鏡?ナベ敷き?などとあれこれ考えた挙げ句、せいぜい茶托に使われるのが関の山かもしれません。
同様に、今のわれわれが百年後の未来の先端技術の産物に触れたとしたら?と思うとワクワクしてきます。ブレイン・バンドもその一つかもしれません。洗練されたデザインの「はちまき」か「バンダナ」としか見えないものが、実は高度な未来技術を結集して作られた「脳−CPU間インターフェース」だった、というように。この程度ならまだ想像の域ですが、装置がマイクロ化、高集積化されていると当初は目に留まらず見過ごされてしまうものもあるかもしれません。
そのような新たな視点からロズウェルの墜落現場に行って丹念に調べれば、もしかしたらコメ粒くらいの「超集積マイクロチップ」などの遺留物が砂粒と一緒になって見過ごされているかもしれません。(注)UFOテクノロジーを裏付けるのになにもUFOの現物を示す必要はなく、微小な粒のような品物でもそこに現代技術では製造不可能なテクノロジーが込められていることが示されれば、立派な証拠物となるでしょう。
例の本に書かれた内容についてはまたいろいろ議論が生まれてくるでしょうが、活字にならなかった部分の方がはるかに多いのではないか、と私は思います。用途すら見当のつかない品々も未解決のままどこかの研究室に眠っているかもしれません。開けると災いをもたらすパンドラの箱のようなもの、人間の潜在記憶や精神に影響を与える装置、物質存在を非同調域に消滅させてしまう装置などのほか、現段階では想像すら及ばない物もあって不思議はないと思います。
今思えばフィリップ・J・コーソーとフィリップ・J・クラス、このアメリカの老いたる両雄はUFOに関して陽となり陰となり20世紀最大の謎を追い求めて来たのか、と思うと感慨深いものがあります。
1998/02/18
軍の第一発表は「UFOの墜落」だった
ロズウェル事件に関しては、さまざまな見解があり、特にUFO研究家たちは空軍が出したロズウェル事件の調査報告に対しては疑義を唱えています。私もこの問題に関しては「空軍がこう言ったから片付いた」とは思っていません。
少し話が脇にそれますが、「お上」という言葉があって「役人がしっかり調べたことだから、堅い役所のすることだから、まちがいあるまい」とする発想がまだあるようですが、全てがそうであれば報道を使命とするマスコミはその意義をほとんど失ってしまうでしょう。
また政府の発表を無批判にそのまま流しているような報道形態は、報道というよりプロパガンダといえるでしょう。政府にも都合があります。役人や政治家にも事情があるでしょう。そうした都合や事情が加味されて「発表(リーク)のタイミング」と「発表(リーク)内容」の取捨選択、変更、調整、変形あるいは「差し替え」が行われた結果として、日々のプレスリリースが提供されているはずです。
ロズウェル事件に関しては、第一発表では「UFOの墜落」であり、その後「観測気球」に訂正発表されたことは既に歴史的な事実です。それは「市民が観測気球をUFOと誤認した」という訂正ではありません。現地の陸軍航空基地司令官が許可し、軍の広報担当部局が自ら行った第一発表をその後訂正したのです。
そもそも「落下(回収)した気球」か、「墜落(回収)したUFO」かが判別できず双方を誤認するような航空隊っていったい何だろうと思ってしまいます。そのような識別能力しか軍が持ち合わせていないのだとしたら、発表内容そのものに対する信頼性に疑いを持ってしまいます。
これはある意味では陸軍のプライド、軍人としての誇りが掛かっている問題だと思います。今回出版されたP・J・コーソー元陸軍情報将校の自叙伝は、この事件の経緯やその後の扱いに関する割り切れない思いが背景にあって、老境を迎えその気持ちの清算のために書かれたような気がしてなりません。昨年の空軍の発表と前後して米国で出版されたというのも意味深です。
結局いずれにしても、ロズウェル事件に関する直接的資料が所在不明な状況では、どちらの発表を「事実」と受け止めるか、それは受け手であるわれわれの主体的判断に委ねられている問題だと思います。
1998/02/21
軍の要職を務めた経歴
コーソー元陸軍中佐の回顧録について、インターネットの関連ページを追って情報を集めていました。まずセントルイスにある軍の個人情報管理センターから得たという彼の軍歴、ケビン・ランドルやスタントン・フリードマンらUFO研究家たちの見解、出版社との間で生じた係争事件を報じる新聞記事など、更にはコーソーの写真をエイリアンに描きなおして作ったパロディページまでありました。
軍における彼の経歴についてはヨーロッパ戦線などの海外赴任4回、うち1回はGHQ極東司令部に所属していたようです。諜報部門にも何度か配属され、最終的には海外技術部のチーフを務め、ワシントンDCにおいて参謀将校を最後に退官したようです。この海外技術部(Foreign
Technology Division=FTD)という部局が謎めいていますが、基本的にはソ連や東欧の技術開発の情報収集が主な任務であったようです。
「Foreign」という言葉から「異質な」とか「外部の」という意味も連想され、もしや?とも感じられます。彼の経歴を見る限り、勲章の授与も幾度かあり、自身もそのキャリアに誇りを持てることでしょうが、なぜまたこのような回顧録の出版に手を染めたのでしょうか。
UFO研究家であり『ロズウェルに墜ちたUFO』の共著者でもあるケビン・ランドル氏は、昨年3月、回顧録の出版前の原稿のコピーを入手、「ナンセンスであり、近ごろのロズウェル便乗者と似たようなもの」と否定的な見解を示しました。
また、同じくUFO研究家であり物理学者のスタントン・フリードマン氏もこの本の内容に対していくつかの疑問点をあげ、このような本や映画を見た人々がロズウェル事件自体を欺瞞であると見なしてしまうのではないか、と懸念を表明しています。
昨年11月にはロサンゼルスタイムス紙で、当地の上級裁判所において、この回顧録の著者及び息子と出版社との間で金銭面の係争事件が持ち上がったと報じられています。出版社側の訴えによれば、コーソーの回顧録の権利を既に1992年に取得し、本と映画版でもうけることに決めていたようです。しかし息子のコーソージュニアが昨年春ごろ、出版前の段階で「途方もない金額を要求」、またインタビュー内容を勝手にいじったとして、裁判に持ち込まれたようです。
1998/02/26
地元紙は批判的に報道
コーソー氏の軍歴を要約した「Officer Qualification
Record=直訳では将校資格記録」を引き出したとする「St.Louis
Army Reserve Personnel Center」という名称の機関がどのような形態でどのような業務を行っているのかは知りません。
この記録ではコーソー氏が陸軍中佐(=LTC)になった時期について、「in
AUS on 30 July 53 and in USAR 21 May 1957」と書かれています。つまり、「AUSで1953年7月30日に、USARで1957年5月21日に中佐に昇進した」という意味に取れます。
この記録には1942年以前の氏の経歴がありません。軍に1942年2月から63年3月までの21年間所属したことになっていますが、生年月日を明記した資料が見つからず、何歳で軍人になり、何歳で軍を辞めたのかがわかりませんでした。アメリカの場合、予備役という制度があるようですので、この間がどのようにカウントされるのか、事情に詳しいかたであればご存じかもしれません。
例の本について、ロサンゼルスタイムスでは「ghostwritten
memoir」と表現しています。つまり「ゴーストライターによって書かれた回顧録」の意味にとれますので、コーソー氏本人が書いたかどうかはきわめて疑わしくなってきました。もともと原書は共著になっています。
そこに更にジュニア(年齢不祥)が絡んだとなると、コーソー氏本人のオリジナルインタビュー(あるいは元原稿)の内容がどのようなものであったのか、どのような理由で変えられたのかについては、本人が表に出て来ない限り、今のところ関係者にしかわからないでしょう。
同紙の記者が昨年11月時点で、出版社(ポケットブックス)の担当社員にコーソー氏の連絡方法について尋ねたところ「どのように連絡が取れるのかわからない」と答えたとのこと。他の試みもだめだったようで、結局本人への直接取材はできなかったようです。
1998/02/28
(注)
インプラント摘出手術を行ったロジャー・K・リア博士の著書「the
Aliens and the Scalpel」(1998)に、Vernon
Clark博士が行ったアイソトープによるシリコンの同位体の構成比の図が出ています。この図は、ロズウェルクラッシュの際の遺留物質と地上に自然に存在する物質を比較したものです。
地上に自然状態で産するシリコンの同位元素の構成比はSi28が92%、Si29が5%、Si30が3%。これに対し、問題の物質の構成比はSi28が27%、Si29が43%、Si30が30%と各同位元素がほぼ均等になっています。
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