20年前の政変劇に見るUFO陰謀史
太田東孝(はるたか)著『日本政府はUFOを知っていた』(KKベストセラーズ/1992)では、カリブ海の小国グレナダのエリック・ゲーリー首相が第33回国連総会で行った「UFO声明文」(1978年10月12日付)を日本の外務省から引き出すことができた、と書いてあります。
国連で一国の首相がUFO問題について堂々と声明を発表したことは画期的でしたが、問題はその後です。ゲーリー首相の発言前後の国連の経緯については同書に資料が掲載されています。
「1979年、偶然にもグレナダ国にクーデターが勃発し、突然の政権交代が行われた。このため、(国連で)採択された案件はもちろん棚上げされ、そのまま今日に至っている」(同書P112)
「やはり過去に国連でUFO案件をあげようとしたウガンダ国にも、同じ年にクーデターが起きている」と太田氏は書いています。これについて、コールマン・フォンケビッキー氏の「米政府とCIAがお膳立てした政変劇」という見方を紹介しています。
ちなみにグレナダ国のその後を『イミダス』(1987年版)で見てみますと。
グレナダ侵攻=1983年10月、約2千人の米軍と、ジャマイカ及び旧英領の東カリブ海諸国機構の約3百人の軍隊が侵攻してこの島国の革命政権を打倒した事件。
(中略)
グレナダではM・ビショップ率いるニュー・ジュエル運動がゲーリー首相の独裁政権を革命で打倒した後、社会主義的政策を進める一方で、キューバやニカラグアの革命政権と連帯し、中米及びカリブ海の左傾化を進めていた。そして親ソ派によるクーデターでビショップ首相が殺害される政変が起こり、オースチン軍司令官が革命評議会の樹立を宣言した。グレナダ侵攻はその混乱に乗じて行われ、オースチンらを逮捕して暫定政権を成立させた・・・。
(以上抜粋)
太田氏の本からの示唆に従い、グレナダで起きたことを簡略化すると・・・
<ゲーリー首相>→国連でUFO演説、国連にUFO問題を扱う専門機関の設置を働きかける
<影の政府+CIA>→M・ビショップを操りゲーリー政権打倒、その後左傾化
<親ソ派>→ビショップ首相殺害→オースチン軍司令官が革命評議会樹立
<表の米国政府>→米軍を投入、オースチン軍司令官を逮捕、暫定政権樹立
【答え】=UFO問題の解明に向けて国連決議を求めたゲーリー首相の排除達成
1992/10/03
写真=冨川正弘氏のリポートで国連での
ゲーリー演説を伝える「UFOと宇宙」誌
グレナダ初代首相の訃報
中米グレナダの初代首相エリック・ゲイリー氏は、1975年から国連においてUFOなどの研究を行う専門機関の設置を提起し、1977年10月7日の国連総会本会議ではUFO問題の解明を求めて各国代表を前に演説を行いました。
同年11月28日の国連総会第35回特別政治委員会では同国のフライデー文部大臣が、国連でUFO研究を始めることの必要性を訴え、「この地球の次代を担って立つ若人達の利益にとって歴史に残る日とするために、グレナダの提案にご賛同いただけるよう心から願っております」と感動的に演説を結びました。
ゲイリー首相は「科学的諸発見に照らして考えれば、この惑星が神の創りたもうた唯一の場所であると考えるのは虚偽以上の何ものでもありません」と主張しました。
国連の場とUFOが絡む話題は他にもありますが、特にこの件は一国の首相が国連総会の場で公式にUFO問題の解明を訴えたという点で、UFOファンにとって忘れることのできない、きわめて印象に残る出来事でした。
その後1979年、グレナダではクーデターが勃発し、ゲイリー首相は退陣を余儀なくされ、「UFO首相」として国連で演説することもなくなりました。このクーデター劇には米ソが絡む不可解な経緯も感じられました。
そのゲイリー初代首相は今月23日、75歳で死去されたとの訃報記事が25日の読売新聞夕刊(AFP時事)に掲載されました。晩年の10年は病気がちだったとのことですが死因については明記されていません。
なお、ゲーリー首相の国連における演説などは『UFOと宇宙』誌1978年3月号、同4月号、同12月号に冨川正弘氏のリポートで紹介されています。
1997/08/28
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