地球人類がビジターの立場になると・・
いわゆるUFOコンタクト事件といわれるものに共通する特徴は、まず特定の人に限って生じるということです。マイヤーの場合もそうですが、他の人が居合わせた状況で遭遇、あるいはコンタクトが生じるケースはきわめてまれで、そのために客観的たり得ない。
異種知性体が人類に何らかのメッセージを効率良く伝えようと意図するなら、そんな回りくどく手間暇かけて一部の人にひそひそコンタクトするより、複数の人に堂々と円盤を見せ、撮影させながら共通のメッセージを伝えれば客観性が飛躍的に高まり、それだけ人類社会への浸透が速やかに達成されると思うのです。
いっそのこと電波媒体を占有して彼らのメッセージを一斉に流すことなど朝飯前でしょうが、これは「宇宙戦争」のときのようにパニックを生じる可能性が高いので、あまりよい方法とはいえないかもしれません。しかし、だからといって特定の個人にこだわってメッセージを伝達する方法に執着する意味がどうもよくわからないのです。
そこで、まったく逆の立場から考えてみるとどうだろう。
仮に人類が宇宙へ進出し、ある惑星αにきわめて素朴な人類型コロニーを発見したとします。当然、着陸前に軌道上からリモートセンシングにより地表を探査し、そこに居住する人々の文明のレベルや社会システムを調査するでしょう。
(1)そこでは「惑星α以外の星には高度な文明は存在しない」、また「仮にあったとしても、当惑星に他の文明が到達できる確率はほとんどゼロに近い」、という世界観・パラダイム・知的コンセンサスが固まっていたとします。
(2)また惑星αの社会システムが上意下達式で、複数の共同体間には利害関係が複雑に絡んでいて争いを生じやすく、かなり不安定要素が高い、といったような場合を想定します。
(3)さらにそこで使われている武器はせいぜい火薬式の大砲程度で、われわれビジター側が所有するプラズマ兵器とはまったく比較にならない幼稚なものとします。
これらの想定に立って惑星αに着陸する場合、もちろんα側のダメージや混乱などまったく意に介さずに、堂々とその首都中心部に着陸を敢行し、圧倒的な技術力で威圧することも可能でしょう。惑星奪取が目的であれば、当面邪魔になりそうな原住民に的を絞って特殊なバクテリアや毒物を散布し、手際よく壊滅状態にしてから降りる方法もあるでしょう。
しかし、われわれビジター側が宇宙的倫理観ともいうべき原則に基づいた行動をとる文明からの使者であれば、このような破壊的暴力的なコンタクトはしないのではないだろうか。
まず人目につかない山間僻地を選び、母船から探査機を発進させて密かに着陸を試みる。そこである特定の個人を選定し、まずは直接的なコンタクトを試み、言語や知的水準、精神・心理構造、ビジター側との親和性など、あらゆる側面から惑星α人のデータ収集を行う。
と同時に少しずつα社会にビジターの存在を気付かせ、醗酵のプロセスのようなデリケートなコントロールを行いながらジワジワと浸透する。結局、かなりの手間と時間を要しても大局的に見れば最善の方法である、というような選択が行われることでしょう。
単なる学術的調査が目的であればそれ以上の深入りは避け、要所要所に自己溶解型の特殊センサーを設置、高々度軌道には偵察衛星を残してα星を去っていくでしょう。そしてビジター側の予算次第では一定の期間を経て第二次、第三次と調査を継続し、時系列的な変化を見るでしょう。
そのような経過の中で、α星の文明がさらに一段と進歩を見せた反面、共同体間の争いや緊張状態が極度に高まり、最終兵器の開発によって自爆的な危険性が臨界点を超えたと判断された場合、ビジター側の調査委員会は干渉か非干渉かの決議を行い、「保護的干渉」の決定が下れば特殊調査隊を再度α星に派遣して新たなプログラムに着手することでしょう。
ある局面ではビジターの存在が明確に気付かれるよう、また他の局面では幻想的な形でα人社会の両敵対勢力に干渉し、緊張の融和を図ります。これは非常にデリケートな作業で、失敗すると予測不能の不安定要素を誘発し、自爆をかえって早めてしまうことにもなりかねません。
しかし、首尾良く緊張状態を脱出してもα星の文明は新たなステージへの進歩を止めません。そこには新たな形の危機や緊張が首をもたげる一方、宇宙でたった一つしかないα星独自の高度な文明・文化を開花させ、われわれビジターと真に手を携え、宇宙へと進出していける水準に達した人々や社会が生まれるようになっているかもしれません。おそらくわれわれビジターは、そうなることを当然のように願い、そのために出来ることを惜しまないでしょう。
・・・といった物語はいかがでしょう?
これはビリー・マイヤーのコンタクトケースを意識して考えたわけではありませんが、自分としてはたとえ空想的な物語であっても、連綿と続くUFOコンタクト事件を少しでも理解する手掛かりになれば、多少飛躍した考えであっても自由に想像の翼を広げて遊びたいと思っています。
1996/09/14
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